(歴史から学ぶ) 明治43年、昭和22年/利根川決壊


写真1 権現堂の堤が決壊する様子
□明治43年8月2日から降った大雨で、利根川・荒川などの河川が氾濫し関東地方が未曾有の洪水となった。その被害の様子が当時の実況絵葉書として残されていた。
□8月2日~20日まで、水が引けるまで二週間以上を要し、首都機能は完全に麻痺状態であったと伝えている。
□この大洪水を教訓に、明治44年から昭和5年までの20年間の歳月をかけて、荒川放水路の開削、中川、綾瀬川の浚渫工事など総合的に実施してきた。それまでは、綾瀬川は墨田川の千住大橋下流付近に合流していたが、この河川改修により中川と合流し東京湾へ注ぐ河川となった。
私たちは、明治43年と昭和22年の利根川決壊の歴史を教訓にしなければいけません。(埼玉県下統計)
□明治43年大洪水の被害
・死傷者 412名
・家屋流出 84,538棟
□昭和22年カスリン台風
・死者 86名
・家屋の浸水 78,944棟
・家屋の倒壊 3,234棟
-平成25年歴史民俗資料館企画展より-


写真2 船で救援物資のおにぎりを配達

写真3 亀戸天神付近

写真4 墨田区旧寺島村付近